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札幌高等裁判所 昭和37年(う)320号 判決 1963年7月20日

被告人 岩館武雄

主文

原判決中判示第一の事実に関する部分を破棄する。

被告人を右第一の(一)の事実につき懲役四月に処する。

昭和三七年七月四日付起訴状記載の公訴事実中第二の点につき、被告人を免訴する。

右破棄にかかる部分以外の点に関する本件控訴を棄却する。

理由

第一控訴趣意に対する判断

控訴趣意第一点について。

昭和三三年六月一九日午後八時三〇分頃被告人が原判示罪となるべき事実第一記載の樋浦茂方に空巣に入り、長方形に四つ折りにしてあつた新聞紙一枚を棒状にねじつた上マツチで点火し、その照明によつて同家六畳間押入れ内を物色中、玄関方向に足音を聞いて家人が帰つて来たものと早断し、その場で左手に持つていた右新聞紙の火元に右掌をおおいかぶせるようにしてもみ消したため、燃えていた右新聞紙から火の粉が押入れ内に約一〇糎間隔で置いてあつた竹編行李と掛布団との間で、これらに近接するゴザの上や、押入れ付近の畳上に散乱したが、被告人はそのまま放置して逃走したこと、そして、右火の粉から、これに近接してあつた押入れ内の前記掛布団に引火し、因つて同日午後一〇時頃同家家屋一棟を焼燬するに至つたことは、原判決が判示第一の事実につき挙示した証拠により確定でき、本件においておおむね異論のないところである。しかるに、原判決は、被告人のこの所為は、右家屋を焼燬することを予知しながら、容易に消火し得たにもかかわらず敢えてこれを放置して逃走したもので、現住建造物放火罪に当るとした起訴状記載の訴因事実を認めず、被告人には当時右家屋が焼燬するに至るべき認識及びその認容があつたとはいえないとして、被告人を重過失失火罪に問擬したのに対し、所論は、これを事実誤認として争い、犯行当時の樋浦方押入れ内の状況及び火の粉の散乱状況に照らせば、本件家屋の焼燬に至る高度の蓋然性があり、したがつて経験則上被告人もまた当然これを焼燬することの認識ないし認容があつたとみられるばかりでなく、被告人自身も捜査以来基本的にはこの点を肯認してきているものと目されるのに、原判決が被告人の供述を措信できないとしたのは論理の法則又は採証の法則に違反するなどと主張するものである。そこで、このように本件の争点となつている被告人が樋浦方から逃走する際の心理的態度を考えると、被告人が押入れ内外に散乱した火の粉による既発の火力を利用する積極的意図を有しなかつたことは明白である。けだし、被告人は玄関付近の足音を聞き、ともかくも点火した新聞紙の火元をもみ消しているのであり、本件家屋の焼燬を希望すべき何らの動機をももち合わせていなかつたものであるからである。それでは、その火の粉についていかなる表象を有したかであるが、被告人は火の粉について現認した状況を次の如く供述している。「千切れて落ちた新聞紙の切れ端が布団と箱(竹編行李のこと)の間に二つか三つ、新聞紙と箱との間に二つか三つ、押入れの敷居から四、五糎位離れた処に二つ三つ散らばつて、まだ高さ二糎位の炎を上げて燃えていました。私がぱつと見た印象がそんな位置に見えたので、あるいは布団、箱、新聞紙に接して、あるいはその上に炎が落ちていたかも判りませんでした。更に炎は上げていませんが、こまかい火の粉が布団から箱、新聞紙辺から敷居の手前辺にひろがつて落ちていました。」(検察官に対する供述調書。なお、検察官作成の昭和三七年三月一五日付実況見分調書添付図面)ところで、受信者検察官堀田力(発信者道警本部物理科学課長)の電話聴取書及び当審鑑定人菊地功作成の鑑定書(同鑑定の実験の一部は当裁判所、検察官、被告人及び弁護人立会いの上行なわれたものである。)によれば、本件家屋の火災は、掛布団上又はこれに接着して落ちた炎によつてその掛布団に引火し、徐々に火力を増し拡大していつたものとみられるのであるが、散乱した紙片の炎は、外観的には一たん立ち消えた状態を呈し、掛布団に着火した場合にはやがて白煙が出ることをうかがい知ることができる。又畳あるいはゴザ上の火の粉自体の危険度は余り高くなく、相当早い時間に消失することは鑑定の結果の示すところであるし、一般の常識からも優に肯認される。他方、右電話聴取書及び鑑定書によれば、炎が、積み重ねられた新聞紙、竹編行李又はこれらに接して落ちた場合には火災の危険は最も高く、一〇分ないし三〇分の短時間内で火災化するというのであるから、前叙の如く被告人が逃走してから一時間余を経過して出火した本件では、積み重ねられた新聞紙、竹編行李上に又はこれと接着して散らばつた炎はなかつたか、たかだか伝播力のない火の粉が散らばつたにすぎないことがほぼ確実である。そこで、これらの点から検討すると、被告人としては、最も火災化の危険があると考えられる、炎が新聞紙、竹編行李上に又はこれらに接して落ちたという状況には明らかに当面しておらず、又これについで危険度が高く、現に本件火災の原因となつたと推認される掛布団に対しての着火については、その着火前、すなわち布団から白煙が出る以前すでにその場から逃走していたと認められるのであつて、それまでの分秒の間に被告人が認識した状況からは、注意力のいかんを問わず、家屋焼燬に至る予見を直ちに可能にするほどの高度の蓋然性があり、したがつて被告人に未必的にせよ、その認識又は認容があつたとみることは困難である。もちろん、被告人としては漫然逃走することさえなければその危険性を認識しえたであろうが、逃走時においてそれまでの認識に至りうる状況ではなかつたと考えられる。又たしかに、被告人はこの逃走時の心理について、原審公判廷では、概して、燃えないと思つたとか、火がつかなければいいと思つた旨の供述をくり返しているものの、司法警察員や検察官に対しては(あるときは原審公判廷においても)、火事になるだろうと思つたとか、燃えても仕方がないと思つた等供述し、他方、樋浦方から逃走した後でも、火のことが心配になつて二、三回ふり返つた等のことにも言及しており、これらの点は検察官指摘のとおりである。しかしながら、右に検討した火の粉の状況につき被告人の現認したところを基に考えれば、被告人が抱いたのは火の粉に対する漠然たる懸念ないし危険感であつて、一応はその危険に思いを致さないではなかつたが、それ以上には危険の蓋然性を認識したわけではないとみるべく、このことが右の如き供述態度となつてあらわれたものといいうるであろう。したがつて、この供述を重視して被告人の放火の故意、すなわち家屋焼燬の結果の認識ないし認容の態度を推量することはなお困難である。このような見方は、原判決の見解、すなわち、被告人が逃走する際には、知覚した火の粉により本件家屋を焼燬するに至るべき認識及びその認容という肯定的又は否定的な心理的態度をとる余裕もなく、これに狼敗した被告人の側からみれば、その状態を発生させた被告人にいずれかの態度決定を迫る程度の火の状態ではなかつたと判断したところと、結局において多く異るものではない。ともあれ、原判決が被告人に本件家屋焼燬の故意を否定したのは、所論にもかかわらず、正しいといわなければならない。なお、所論は控訴趣意第一点の末段において、被告人は屋外に脱出してからは家屋焼燬の危険を充分に感得していたはずであるから、少なくともこの時期においては結果の防止をはかるべきであつたともいうが、しかし右脱出後に至り被告人の認識をより深めるに足るような具体的事情の発生があつたわけではない上に、発火場所に所在していない被告人に対し、直ちに結果回避の措置に出るべきことを期待するのはおそらく至難というべく、この不作為のゆえに放火罪が成立するとは到底考えられない(所論指摘の判例は、いずれも消火を義務づけられた者において容易に消し止めうる時間的・場所的関係にあつた事案に関するものであり、本件の右の場合に妥当するものではない。)いずれにしても、論旨は採用しがたい。

控訴趣意第二点について。

原判決が被告人に対する昭和三七年七月四日付起訴状記載の公訴事実第二、すなわち右第一点において問題とした現住建造物放火罪につき、その成立を否定し、罪となるべき事実第一の(二)として重過失失火罪を認定、同第一の(一)の窃盗未遂罪と併合罪の関係に立つものとして一括処断し、被告人を懲役一年に処していること、しかるに、被告人の所為をもつて右の如く刑法第一一七条ノ二の重過失失火罪と認定する以上、昭和三三年六月一九日に終了したことの明らかなその犯行は、起訴前すでに三年の公訴時効の期間(刑事訴訟法第二五〇条第五号)を経過しており、同法第三三七条第四号により免訴の言渡がなされるべきことは、まさに所論のとおりである。したがつて、原判決には法令適用の誤りがあつて、この誤りは判決に影響を及ぼすことの明らかな場合に当り、原判決中その判示第一の事実に関する部分は破棄を免れないといわなければならない。論旨は理由がある。

ところで、検察官は被告人に対する本件被告事件の全部について控訴を申し立てているけれども、原判示第一の事実に関する部分を除くその余の部分については、控訴の理由としてとくに主張する点はない。よつて、この部分に関する本件控訴は刑事訴訟法第三九六条により棄却すべきものとし、原判示第一の事実に関する部分については、本件控訴は右第二点に説示した如く理由があるので、同法第三九七条、第三八〇条により右部分を破棄した上、同法第四〇〇条但書にしたがい、次のとおり自判すべきものとする。

第二自判の内容

原判決が適法に認定した原判示第一の(一)の事実に法律を適用すると、被告人の所為は、刑法第二四三条、第二三五条に該当するところ、被告人には原判示道路交通法違反の罪の前科(科料三〇〇円)があり、これと右窃盗未遂の罪とは刑法第四五条後段の併合罪に当るから、同法第五〇条に則り未だ裁判を経ない本件窃盗未遂の罪につき処断すべきものとし、所定刑期範囲内で被告人を懲役四月に処する。なお、この部分について生じた原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書にしたがい被告人に負担させない。

(免訴)

被告人に対する昭和三七年七月四日付起訴状記載の公訴事実第二は、原判決の「現住建造物放火を認めない理由」の冒頭に記載されているとおりであり、原判決はその放火の事実を認めず、罪となるべき事実第一の(二)として重過失失火罪と認定したのであるが、この認定にしたがえば、控訴趣意第二点に対する判断として説示したとおり、被告人に対しては免訴の言渡をすべき場合に当るので、刑事訴訟法第四〇四条、第三三七条第四号により、主文第三項の如く、被告人を免訴すべきものとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢部孝 中村義正 萩原太郎)

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